『なぜ人をころしてはいけないのか?』
こんにちは。この前久しぶりに記事を書いてまた色々書きたい熱が上がってきた気がします。下手だけど落書きもしたり。
タイトルの『なぜ人をころしてはいけないのか?』はツイッターで流れてきたものでした。
それは誰かがツイ主さんに聞いていて、どんな答えが返ってくるか反応を見ていたという話だったんですが、
これってイド:インヴェイデッドの中でもすごく大切な事だと思いまして。
普通は人をころしたら罪になるとか、そう決まってるからとか自分をころされるのは嫌だからころさないというような事だと思うけど、自分はどう思うのか、それをちゃんと考えないとなと感じました。
私なりの答えとしては、人って感情とか肉体とか思考とか色々な物で構成されてると思うけど、本に似た物じゃないかと。
それは記憶だったり経験とか、何か体験してそこから学んだ事だと思うんですが、ある1つの記録だと思うんですよ。
それは大人でも子どもでもいい人でも悪い人でも老若男女みんな持っていて。
それを紡いで人生が続いていくんだと思うんです。
それを他の誰かが絶ち切ってしまう。本来もっと続くはずだったものが失われてしまう。そして、もしその人が日記や記録を残しておかなければもう誰もそれを知る事ができない。そういう事がいけないのかと、そう考えました。
他にも種の保存で全体数が少なくなると進化に影響するとかもあると思いますが。
メインはそれなのかなと自分なりに結論を出しました。
傷の問題もあると思います。人をころすと傷ができる。肉体的にも、ころされた人と交流があった人達にも心の傷や人生の一部が損なわれたりする。
永遠にその人と話ができない(たぶん) 何の苦痛もなく他界する方もいますが、残された人達は何らかの影響を受ける。そういうのも問題なんだと思います。
ああ…でも1番目の理由だと、スワンプマンの問題も出てきますね…
スワンプマンとは
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%9E%E3%83%B3
あとイドだと夢の中やイド内で木記さんがころされてたり、
鳴瓢がイド内イドで潜在犯をころしまくってた話とも繋がりますね(夢やイドの中だから何をしてもいいという考え)
ちょっとこれはまた考える事にします。
たぶん一人一人違うと思うので、自分なりの答えが出るといいですね。